マーティン・ルーサー・キング・ジュニアE〜コレッタとの出会い
                  


1951年9月、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、
マサチューセッツ州にあるボストン大学神学部の大学院に入学する。
22歳になっていたマーティンは、これまで通り勉学に励む傍ら
様々な行事や集会に出席し、自分に合った理想のガールフレンドを探していた。
しかしボストンで出会った女性にはがっかりすることが多く、
南部の女性がどんなに素晴らしかったかを思い知るようになる。
ある時アトランタ時代からの旧友であるメリー・パウェル夫人にその事を嘆いたら
夫人は早速マーティンに
自分と同じ学校に通う南部出身の女性を紹介しようと申し出た。
それが将来の妻となるコレッタ・スコットだったのである。  

コレッタはアラバマ州ペリー郡出身で、
マーティンより2歳年上だった。
父親は農場主で他に理容店を営んだり製材所も所有していたが、
1929年に大恐慌が始まると一家の生活は苦しくなり、
2歳上の姉や3歳下の弟と一緒に綿摘みをして家計を助けた。
両親は教育がいかに重要であるかを知っていたため、
「服を買うよりも、子ども達を大学に行かせることの方が大切だ」
と母親はいつも言っていたという。  

近所に黒人が通える小学校がなかったので、
スコット家の子どもたちは、
片道8kmの距離を毎日歩いて
教室が一つしかないクロスロード小学校に通った。
近くに住む白人の子どもたちは
自宅のすぐそばにある小学校にバスで通っていた。
黒人専用の中学校は家から14kmも離れていたため、
コレッタの母親がバスの運転手となって黒人の子どもたちを送迎した。
マリオンにあったリンカーン・ハイスクールを総代で卒業したコレッタは、
オハイオ州のアンティオク大学に入学する。
彼女にはもともと音楽の才能があり、
教会の聖歌隊ではいつもトップの座にいたため
将来はクラシック音楽のソロ歌手になる夢を持っていた。
そのためコレッタは奨学金を得て、
大学卒業後、ボストンにあるニューイングランド音楽院に進学する。
何事にも熱心で聡明なコレッタは、
下宿屋でメイドとして働きながら
家賃と食費を稼いで音楽学校に通っていた。  

マーティンはパゥエル夫人からコレッタを紹介されるやいなや
すぐに彼女の電話番号を聞き出し、
その日の晩、デートの約束を取り付けるために電話をかけたのである。
彼女は見知らぬ男性から電話をもらい、それだけでも驚いていたのに、
マーティンはビブラートのかかった魅惑的な声でこう言ったのだ。
「ナポレオンでも敗北することがある。僕もナポレオンだ。
ワーテルローの戦いに敗北して君の前にひざまずいているところだよ」
それを聞いたコレッタは仰天した。
しかし彼のストレートなアプローチと
知的なジョークを交えた話術に惹き込まれていったコレッタは、
翌日ランチを一緒にとることを承諾する。  

マーティンがコレッタを迎えに来る間、
彼女は声の主がどんな容姿をしているのかと期待に胸を膨らませていた。
しかし、彼女はマーティンに会った途端、ガックリ肩を落とす。
大げさな表現を巧みに使って自分の気を惹いた男性は、
ずんぐりむっくりした背の低い男で、魅力的とは言い難かったからだ。
しかし二言三言言葉を交わすうち、
コレッタはマーティンの説教に聴き入る信者のような気分になり
彼の背が実際より高く見えるようになってしまった。
彼女はその時の心境を以下のように述べている。  

「それは少し言い表しにくい感情であった。
というのは私はたった数分間のうちに、
マーティンが背の低い人であることをすっかり忘れてしまい、
最初の印象を完全にくつがえしてしまっていたからである。
彼は話し始めると急に大きく見えた。
あんなに若かった時でさえ、
彼は最初の瞬間から雄弁と誠意と道徳的身長によって
人を自分の側に引きつけていた。
私はすぐに彼が特別な人であることを知ったのである」  

母方の家系がクリーク・インディアンの血を引くコレッタの顔つきは
穏やかで美しく、物腰も洗練されていたため
音楽学校まで見送ったマーティンは、別れ際にこう告げた。
「僕が妻となる人に求める四つの条件は、
高潔さ、知性、人間的魅力、美だ。 君はそのすべてを持っている」  

いきなり最初のデートで求婚したマーティンだったが、
その後二人はコンサートに行ったり観劇をするなど
上品なデートを繰り返しつつ、徐々に交際を深めていった。
コレッタはマーティンが政治や人種問題について度々言及し、
彼の関心が常に貧しい人々にあったことを覚えている。
ほんの一握りの人間が富を独占し、
弱者や貧者に分配しないことをマーティンは批判していた。
また、自分の父親に対してでさえ、
「私の父は徹底した資本主義者だが、私はそんな風になれない。
自分はできるだけ多くの金を稼いでおきながら、
人々の困窮に目を向けようとしない。
そのようなことを許す社会は間違っている」と言い切ったのだ。
その言葉はコレッタの心に深く刻まれた。  

結婚へ向けた交際が順調に進む中、
二人の噂を聞きつけたダディ・キングは意気消沈する。
息子を地元の有力者の娘と結婚させたいと思っていたからだ。
マーティンはそのうちの何人かにプロポーズまでしていたので
両親は急いでそのことをコレッタに伝えた。
1952年の暮れには両親揃ってボストンを訪問し、
アトランタに帰ってくるよう息子を説得したが、
コレッタと結婚する意思は変わらないとマーティンは母親に告げた。
それを聞いた父親のダディ・キングはボストンを去る直前に
「もしこれからも交際を続けるなら、結婚した方がいい」 と勧めたのである。  

コレッタは音楽家になる夢を諦めて、
牧師の妻として生きる人生を選ぼうとしていた。
そもそも彼女は大学在学中から公民権運動に関心を示し、
NAACP(全米黒人地位向上協会)の学生メンバーになっていた。
大学でも人種関係や公民の自由を話し合う委員会に所属していたため
マーティンの言葉に心から共感することができたのである。
この若いカップルは愛情だけではなく、
社会を変革したいという大きな夢を持つ同志のような絆で結ばれていた。
そしてついに1953年6月18日、
二人はコレッタの実家の前庭でダディ・キングの司祭のもと結婚式をあげる。  

その年の秋、二人は
ボストンのノーサムプトン通りにアパートを借りて
新婚生活をスタートをさせた。
マーティンは博士号を取得するための論文作成に取り掛かかったが、
コレッタの方が履修科目が多かったため、
マーティンは彼女のためにできる限り家事や掃除を手伝った。
ダディ・キングはそんな息子に対し、
博士課程が修了したら アトランタに帰って来てはどうかと提案した。
エベネザー・バプティスト教会の牧師職を共同でとり行うためである。
一方でメイズ学長にも働きかけ、
息子のためにモア・ハウス・カレッジの教師の地位まで用意していたが、
マーティンは父親の申し出を断った。
父親の敷いたレールの上を歩く気には到底なれなかったからである。  

地元以外の街で牧師職に就きたいと思っていたちょうどその時、
アラバマ州モントゴメリー(モンゴメリーともいう)にある
デクスター・アヴェニュー・バプティスト教会が牧師を探していることを知り、
1954年の1月、 試験的にそこで説教をしてみることになった。
そこは教会員が300人余りの小さな教会だったが、
中産階級出身の教会員が多かったため、財政的に潤っていた。
マーティンの説教を聞いた信徒達は皆その内容に感銘を受け喜んだ。   

コレッタはモントゴメリーからそう遠くない
アラバマ州のマリオンで育ったため
深南部の人種差別がどれほど厳しいかを知っていた。
その上、北部にいれば
自分のキャリアを伸ばせるかもしれないという かすかな希望を抱いていたので、
ダディ・キングと同じように デクスター教会に赴任することに反対していたが、
3月にデクスター教会が満場一致でマーティンの招聘を決めると
マーティンの気持ちは固まった。  

マーティンの元にはニューヨークやマサチューセッツ、ミシガンの
各州にある教会からも牧師に就任して欲しいという要請があったが
彼はデクスター教会の牧師になる道を選んだ。
理由は第一に南部に帰りたかったこと、
そして父親から独立して
自分の信念に根ざした知的な説教を評価してくれる教会で働きたかったからだ。
この事をコレッタに話したら、
それは自分たちの生にとってより大きな計画の、
もはや避けることのできない部分であると悟り、
マーティンの意見に賛成した。 
こうして1954年4月、
マーティンはデクスター教会の招聘を正式に受け入れる。  

マーティンが博士課程を修了するまでは、
月に1回、 ボストンからモントゴメリーに出向いて説教をしていたが、
6月にコレッタが音楽院を卒業し、
8月にマーティンが博士課程の試験に合格したため
二人は荷物をまとめてモントゴメリーに向かった。
そして10月31日、ダディ・キングの司式で
アラバマ州モントゴメリーのデクスター・アヴェニュー・バプティスト教会の
第20代牧師に就任したのである。 
この時彼は25歳だった。
この教会の牧師にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが就任したことが
全ての始まりだったとは、この時誰が想像できただろうか。    


<09・5・29>










Coretta Scott King/コレッタ・スコット・キング



















































Martin&Coretta/キング牧師夫妻


























Dexter Avenue Baptist Church
デクスター・アヴェニュー・バプティスト教会